進撃の巨人 感想・考察② ~最終回 諫山先生とエレン[前編]~

Linked Horizon「進撃の軌跡」。

「14文字の伝言」は最終回後に聴くと……エレン……。こんな母親に育てられて、何でそうなった?もはや「自由」という呪い。

リンホラはめちゃくちゃ好きだけど、ファイナルシーズンで使われることはもうないだろうな(この予測は「裏切って」もらって構わない!)。圧倒的に恐怖で気持ち悪くて「悪」の巨人から、人類を守るために「心臓を捧げよ」してた調査兵団のための歌だから。

ファイナルシーズンの内容も原作通り暗いけど(この先もただの地獄)、作画含めてアニオリ部分もいいと思ってる。(基本、進撃大好き)

 

感想や考察の内容は勘違いだったり独りよがりだったりするかもしれないけど、

進撃の巨人傑作。この結論はブレない。

 

で、感想・考察は今回が山場なので(もう!)「前編」と「後編」に分けて。まぁ、独りよがりというか間違った解釈かもしれないけど、何が「正解」かもわからん。

 

原作(単行本)に書かれていた情報を整理して、感想と解釈をまとめてみる。

 

何度読み返しても、エレンが「全てのストーリーを作っていた」という解釈はできない。ループ節もちょっと微妙。戴冠式以降(さらにその1年後に壁外調査で海を見て以降は特に)、最終話でエレンが言っていたように「ミカサの決断」を実現するためにひたすら進撃していったんだと思う。ただし「ミカサの決断」が何なのかは最後までエレンも知らなかった。

 

戴冠式でエレンが見た「グリシャが見たエレンの未来の記憶」については、

  1. エレンは未来の「全て」が見えていた訳ではない
  2. エレンは未来の記憶の「断片」がかなり見えたが、それが起こる場所や時系列はわかっていなかった (道では「過去も現在も未来も同時に存在」しているため。そのときになって“あぁこれはあの断片か”みたいな感じで理解していった)※戴冠式では「グリシャが見たエレンの未来の記憶」だけじゃなく、グリシャ自身の過去の記憶なども混ざって見えていた→そりゃパニックになり「は????    ん???」となる。だからあの顔。先生の画力すげぇ!
  3. 戴冠式以降、未来の記憶の「断片」が次々に現実になっていた

    →だから未来は変えられないと悟った

  4. 「王家の血を引く者」との接触による地ならしで、島外人類を大虐殺(ラムジーはじめ、地ならしにより人を殺しまくる断片)も見た
  5. 行動した先にあるのは「見たことがある」断片ばかりだが、実際の行動一つ一つはそのときのエレンの自由意志によって選ばれている

う~ん、③~⑤の解釈が合ってるのかちょっと自信が無い

エレンが「やらなければいけなかったこと(避けられなかったこと)」と「(個人的に)やりたかったこと」「(個人的に)やりたくなかったこと」が曖昧で。最終巻を読んで最初は「感動」したけど、時間が経つにつれて1番わからなくなったのがここ。

 

まぁ設定としては「エレンが自由意志によって選択した」「やらなければいけなかったこと」なのかな…(未来は決まっているけど、あくまでもエレン自身が自由意志に基づいて選んだ結果という…

 

【考察というか疑問点というか】

地ならし=エレンが「やらなきゃいけなかったこと(避けられなかったこと)」の場合

Q1 何のための地ならし?「ミカサの決断を実現する」ための地ならしなら、なぜ誰にも相談しなかった?

  • 「地ならしの未来」「ミカサによる決断を実現しなければいけない未来」がわかっていて、104期の仲間やハンジ・リヴァイに未来の記憶(断片)の話をしなかったのはなぜなのか。「頭がぐちゃぐちゃだったから」「ミカサに話してしまうと情が邪魔して最後に殺してもらえなくなるから」「ハンジやアルミンに地ならしを止められるから」という考察もあったけど…未来は変えられない(=ミカサの決断に向かってエレンは自分の自由意思で突き進むのみ)であるなら、ハンジ達に話さなかった理由がすごくぼやける。地ならしを止めさせてハンジら調査兵団を英雄に仕立てるというのは、エレンが知っていた「結末(=ミカサの決断によってもたらされること)」ではなく「=願望(叶うかどうかわからないエレンの個人的な願い)」だったということか?少なくとも104期をあそこまで突き放し、牢獄でハンジとあんな衝突を起こす必要はなかった気がする(まぁ読者は「傷つく」と「楽しい」が紙一重名ほど麻痺しているのも事実なので、ストーリーを面白くするための演出だったとしたらもう受け入れるしかない)。
  • 「地ならしの未来」が決まっていたとして、その地ならしを起こすための王家の血を引くパートナーは「ジーク」でなければいけなかったのか。それともエレンが個人的にジークを望んだのか。これについては、エレンが個人的にジークを相手に望んだという見方が妥当。エレンはヒストリアを犠牲にする覚悟がなかったから。

 

Q2 何のための地ならし?「お前らを守るため」の地ならしだとしたら、エレンにとっての「お前ら(仲間)」が少なすぎる

  • エレンが島外の人たちを仲間と認識しなかったのは今さらいいとして、ジークやイェレナも仲間と認識しなかったのもまぁそうだとして、ピクシス含む兵団の人たちや、フロックやイェーガー派、さらに最後まで真意を話さなかったハンジやリヴァイも「仲間」として認識していなかったのか。
  • 「道」で104期の仲間達に「お前らを守るために、俺にはこうするしかなった(→その後記憶を一次消す)」的に話したエレンは、泣けるほどヘタレで逆に愛おしさえある。「人類8割殺したけど、お前らのためだから許して」と。「世界中のヘイトを集めて最後はお前らを英雄に仕立てて死ぬけど、お前らだけはわかってて」と。104期もそれでエレンを許しちゃう→結局みんなエレンが大好き。これだけ人から愛されるのに、何を犠牲にしてでも「自由 」を最優先にしていたエレンって何者?
  • エレンが地ならししなければ世界中からの報復でパラディ島が潰されるという「虐殺するか」「虐殺されるか」という究極の2沢は、先生が作り出した「設定」なだけ。現実世界では「どちらも選ばない」が正解で、「無能だ」と自己嫌悪に陥っていたハンジの姿勢が1番正しいはず。相手を理解すること、対話することを諦めたらいけない。巨大な力を持っている人こそ「衝突回避(=対話)」を諦めたらいけない。エレンのことだぞ、おい。
  • エレンが守りたかった「仲間」はパラディ島の人々ではなく、アルミン、ミカサ、ジャン、コニー、サシャ、そしてヒストリアの6人。あれだけ殺し合いの場を生み出していたら、必然的にそうなる。新兵やイェーガー派は文字通りただの駒で、当然フロックも「守りたい対象」には入らない。ハンジもリヴァイでさえも。たった6人を守るためにレベリオ収容区で大虐殺、島内で内乱、人類の8割を地ならしで殺す(でもサシャは守れなかった)。…テレビ(NHK)で最後まで放送できるのか?
  • 地ならしの理由が「お前らを守るため」だとしても、島内・島外で人を殺しまくったこと、そういう状況を作り出したことを正当化することはできない。→でもこれが『進撃の巨人』の世界観?不特定多数の幸福よりも、「自分にとって大事なこと」のために戦うみたいな。いや、そんなテーマだっけ(自問自答)?

 

やっぱり文字にすると頭の整理になる。

地ならしは、エレンが「しなければいけなかったこと」ではなく、「やりたかったこと」の方が絶対にしっくりくる(諫山先生はエレンが自由を求める化け物だったという設定を一貫して描き切った)。

 

次の後編では、地ならし=エレンが「やりたかったこと」と考えてみる。「お前らのため」という建前を振りかざして。まぁ、物語上でそれを誰よりも望んでいたのは諫山先生ですね(悪魔だ[ギリ褒めてる])。

 

今回はここまで。