進撃の巨人 アニメ Season 3 Part 2「50話 はじまりの街」

前回の記事「諌山先生とエレン」の後半を書く前に、アニメの話。

 

進撃のアニメには神回がいくつもあるけど、3期Part 2「50話 はじまりの街」も度肝を抜かれた回だった。原作を知っていてもめちゃくちゃ興奮したし、今でもたまに見返したくなる。OP「憧憬と屍の道」を見たくなる。地獄の中を進み続ける調査兵団を。

 

アルミンのナレーションが……(今思えば、諌山先生めちゃくちゃ狙ってんなー)

「ウォール・マリアさえ 奪還すればー」

 

(いや、ウォール・マリアを奪還しても何一つ問題は解決しなかった!!むしろパンドラの箱を開けてしまった

 

アニメ3期50話では、

リヴァイがライナーを仕留めきれず、ライナー巨人化

気持ち悪すぎる獣の巨人が現れ、

多数の無垢の巨人が変態ポーズで立っている…

 

恐怖にもほどがある

この時点で視聴者は調査兵団の壊滅的打撃を覚悟したことだろう…

 

3期Part 2の頃のエレンは、レイス家とのひと悶着を経て、キースから母カルラのことも聞いて、一番素直に自分の存在を受け入れられていた。

仲間を思い、信じた。

ハンジやエルヴィンの指示や作戦を信じた。

作戦時には「なぜならオレ達たちは 生まれた時から皆 特別で 自由だからだ」

と、自分や仲間が「生まれてきた」ことを肯定し、巨人を駆逐することで「檻の外から出て」「自由に生きる」ことを望んでいた。

まだ15歳。

 

 

 

ファイナルシーズンを見ていると、改めてウォール・マリア奪還作戦の被害がすごく影響していると思い知らされる。ハンジやリヴァイが調査兵団団長・兵士長として初めて「無能」と描かれ(個人的なスキルや人間力は別として)、兵団幹部と調査兵団の対立が深まり(お互いに不信感が募る)、エレンの豹変やイェーガー派の台頭を冷静に判断できる人物や、大人組の人数が圧倒的に足りなくなってしまった。

 

エイルヴィンは言うまでもなく、ミケ、モブリット、旧リヴァイ班のようなメンバーがハンジ団長やリヴァイのそばに一人でもいたら、二人の精神的安定にもなっただろうし、「判断の後押し」もしてくれただろう。(諌山先生本当に悪魔だよ)

グリシャの日記を手に入れてから、悪い方に悪い方に転がり続けた。

 

というか、グリシャの日記の中身についても言いたいことがある!けど、別の機会に(書かないかもしれないけど)

 

ウォール・マリア戦は本当に地獄だったけど、さらなる地獄はここから始まるんだよな。アニメ派の人、まじでかわいそうだな(?)

 

壁外[島外]人類が、パラディ島のエルディア人を駆逐することで「自由に生きる」ことを望んでいるなんて、ハンジもパニックになって当然だ。巨人好きな変人には荷が重すぎる。進撃って、24時間~48時間のあいだに状況が文字通り180度変わることが多々あって、「あれこれってまだ一日での出来事なんだよな」って何度も確認しながら読んでた。

ウォール・マリア戦当日は、ウォール・マリアに向かう闇夜の森で寝ている巨人を見てニヤついていたハンジだけど、朝方にはエルヴィン団長含む100人以上の仲間の死に直面し、調査兵団団長の後任が確定した。戦闘後すぐに4時間以上も生存者を探して(こういうのは「時間」との勝負だもんな)、アルミンの無事を確認したらそのまま地下室へ。そしてグリシャの日記を読んで「世界」を知る。(調査兵団て体力が桁違いだな)

 

よし、次こそ「諌山先生とエレン」後半を書く。

 

今回はここまで。

 

進撃の巨人 感想・考察② ~最終回 諫山先生とエレン[前編]~

Linked Horizon「進撃の軌跡」。

「14文字の伝言」は最終回後に聴くと……エレン……。こんな母親に育てられて、何でそうなった?もはや「自由」という呪い。

リンホラはめちゃくちゃ好きだけど、ファイナルシーズンで使われることはもうないだろうな(この予測は「裏切って」もらって構わない!)。圧倒的に恐怖で気持ち悪くて「悪」の巨人から、人類を守るために「心臓を捧げよ」してた調査兵団のための歌だから。

ファイナルシーズンの内容も原作通り暗いけど(この先もただの地獄)、作画含めてアニオリ部分もいいと思ってる。(基本、進撃大好き)

 

感想や考察の内容は勘違いだったり独りよがりだったりするかもしれないけど、

進撃の巨人傑作。この結論はブレない。

 

で、感想・考察は今回が山場なので(もう!)「前編」と「後編」に分けて。まぁ、独りよがりというか間違った解釈かもしれないけど、何が「正解」かもわからん。

 

原作(単行本)に書かれていた情報を整理して、感想と解釈をまとめてみる。

 

何度読み返しても、エレンが「全てのストーリーを作っていた」という解釈はできない。ループ節もちょっと微妙。戴冠式以降(さらにその1年後に壁外調査で海を見て以降は特に)、最終話でエレンが言っていたように「ミカサの決断」を実現するためにひたすら進撃していったんだと思う。ただし「ミカサの決断」が何なのかは最後までエレンも知らなかった。

 

戴冠式でエレンが見た「グリシャが見たエレンの未来の記憶」については、

  1. エレンは未来の「全て」が見えていた訳ではない
  2. エレンは未来の記憶の「断片」がかなり見えたが、それが起こる場所や時系列はわかっていなかった (道では「過去も現在も未来も同時に存在」しているため。そのときになって“あぁこれはあの断片か”みたいな感じで理解していった)※戴冠式では「グリシャが見たエレンの未来の記憶」だけじゃなく、グリシャ自身の過去の記憶なども混ざって見えていた→そりゃパニックになり「は????    ん???」となる。だからあの顔。先生の画力すげぇ!
  3. 戴冠式以降、未来の記憶の「断片」が次々に現実になっていた

    →だから未来は変えられないと悟った

  4. 「王家の血を引く者」との接触による地ならしで、島外人類を大虐殺(ラムジーはじめ、地ならしにより人を殺しまくる断片)も見た
  5. 行動した先にあるのは「見たことがある」断片ばかりだが、実際の行動一つ一つはそのときのエレンの自由意志によって選ばれている

う~ん、③~⑤の解釈が合ってるのかちょっと自信が無い

エレンが「やらなければいけなかったこと(避けられなかったこと)」と「(個人的に)やりたかったこと」「(個人的に)やりたくなかったこと」が曖昧で。最終巻を読んで最初は「感動」したけど、時間が経つにつれて1番わからなくなったのがここ。

 

まぁ設定としては「エレンが自由意志によって選択した」「やらなければいけなかったこと」なのかな…(未来は決まっているけど、あくまでもエレン自身が自由意志に基づいて選んだ結果という…

 

【考察というか疑問点というか】

地ならし=エレンが「やらなきゃいけなかったこと(避けられなかったこと)」の場合

Q1 何のための地ならし?「ミカサの決断を実現する」ための地ならしなら、なぜ誰にも相談しなかった?

  • 「地ならしの未来」「ミカサによる決断を実現しなければいけない未来」がわかっていて、104期の仲間やハンジ・リヴァイに未来の記憶(断片)の話をしなかったのはなぜなのか。「頭がぐちゃぐちゃだったから」「ミカサに話してしまうと情が邪魔して最後に殺してもらえなくなるから」「ハンジやアルミンに地ならしを止められるから」という考察もあったけど…未来は変えられない(=ミカサの決断に向かってエレンは自分の自由意思で突き進むのみ)であるなら、ハンジ達に話さなかった理由がすごくぼやける。地ならしを止めさせてハンジら調査兵団を英雄に仕立てるというのは、エレンが知っていた「結末(=ミカサの決断によってもたらされること)」ではなく「=願望(叶うかどうかわからないエレンの個人的な願い)」だったということか?少なくとも104期をあそこまで突き放し、牢獄でハンジとあんな衝突を起こす必要はなかった気がする(まぁ読者は「傷つく」と「楽しい」が紙一重名ほど麻痺しているのも事実なので、ストーリーを面白くするための演出だったとしたらもう受け入れるしかない)。
  • 「地ならしの未来」が決まっていたとして、その地ならしを起こすための王家の血を引くパートナーは「ジーク」でなければいけなかったのか。それともエレンが個人的にジークを望んだのか。これについては、エレンが個人的にジークを相手に望んだという見方が妥当。エレンはヒストリアを犠牲にする覚悟がなかったから。

 

Q2 何のための地ならし?「お前らを守るため」の地ならしだとしたら、エレンにとっての「お前ら(仲間)」が少なすぎる

  • エレンが島外の人たちを仲間と認識しなかったのは今さらいいとして、ジークやイェレナも仲間と認識しなかったのもまぁそうだとして、ピクシス含む兵団の人たちや、フロックやイェーガー派、さらに最後まで真意を話さなかったハンジやリヴァイも「仲間」として認識していなかったのか。
  • 「道」で104期の仲間達に「お前らを守るために、俺にはこうするしかなった(→その後記憶を一次消す)」的に話したエレンは、泣けるほどヘタレで逆に愛おしさえある。「人類8割殺したけど、お前らのためだから許して」と。「世界中のヘイトを集めて最後はお前らを英雄に仕立てて死ぬけど、お前らだけはわかってて」と。104期もそれでエレンを許しちゃう→結局みんなエレンが大好き。これだけ人から愛されるのに、何を犠牲にしてでも「自由 」を最優先にしていたエレンって何者?
  • エレンが地ならししなければ世界中からの報復でパラディ島が潰されるという「虐殺するか」「虐殺されるか」という究極の2沢は、先生が作り出した「設定」なだけ。現実世界では「どちらも選ばない」が正解で、「無能だ」と自己嫌悪に陥っていたハンジの姿勢が1番正しいはず。相手を理解すること、対話することを諦めたらいけない。巨大な力を持っている人こそ「衝突回避(=対話)」を諦めたらいけない。エレンのことだぞ、おい。
  • エレンが守りたかった「仲間」はパラディ島の人々ではなく、アルミン、ミカサ、ジャン、コニー、サシャ、そしてヒストリアの6人。あれだけ殺し合いの場を生み出していたら、必然的にそうなる。新兵やイェーガー派は文字通りただの駒で、当然フロックも「守りたい対象」には入らない。ハンジもリヴァイでさえも。たった6人を守るためにレベリオ収容区で大虐殺、島内で内乱、人類の8割を地ならしで殺す(でもサシャは守れなかった)。…テレビ(NHK)で最後まで放送できるのか?
  • 地ならしの理由が「お前らを守るため」だとしても、島内・島外で人を殺しまくったこと、そういう状況を作り出したことを正当化することはできない。→でもこれが『進撃の巨人』の世界観?不特定多数の幸福よりも、「自分にとって大事なこと」のために戦うみたいな。いや、そんなテーマだっけ(自問自答)?

 

やっぱり文字にすると頭の整理になる。

地ならしは、エレンが「しなければいけなかったこと」ではなく、「やりたかったこと」の方が絶対にしっくりくる(諫山先生はエレンが自由を求める化け物だったという設定を一貫して描き切った)。

 

次の後編では、地ならし=エレンが「やりたかったこと」と考えてみる。「お前らのため」という建前を振りかざして。まぁ、物語上でそれを誰よりも望んでいたのは諫山先生ですね(悪魔だ[ギリ褒めてる])。

 

今回はここまで。

 

進撃の巨人 感想・考察① ~最終回 作者はとんでもねぇやり方で読者を裏切ってきた~

諫山先生「読者を楽しませたい」「読者を裏切りたい」「読者を傷つけたい」

 

これは大成功だったのではないかと思う。

 

最終回を読んだあと、もう一度まっさらな気持ちでこの作品を受け取める努力をしたら

主人公エレンは本物の化け物で、エレンを化け物にしたのは他でもない諫山先生で、最後にそれをドカンした先生はすげぇ悪魔で、進撃の巨人はやっぱり読者を傷つける漫画だったと思う。

 

そういう漫画がダメとは言わないし、先生がずっとそれを望んで描いてきたなら「計画通り」だろうし。

 

個人的にはすっごいワクワクした!っていうのも事実で、怖い物見たさもあり、謎が気になることもあり、「途中で止める」という選択肢はなかった。誤解のないように言い続けるけど、進撃は傑作だと思ってる。好きか嫌いかと聞かれたら大好き

 

進撃の巨人』には考察の観点が山のようにあるけど、エレンについては、読者や作中の仲間達が信じ続けてきた主人公は本当に「化け物」で、先生自身がそれを最初から望んで描いていたと理解している。

 

エレンは「自由」に取り憑かれた化け物で、物語の中で踊らせれていた1番の奴隷!

 

ってカミングアウトされたのが最終回だった。

読者をより深く傷つけるために(読者にとって「傷つく」と「楽しい」が紙一重なほど麻痺しているのも事実)、エレンを信じて応援したくなるようなすっげぇ手の込んだストーリーを読まされ続けてきたように思う。

 

個人的には「人種差別」とか「戦争(虐殺)」とか、扱ってるようで扱ってないように感じる(これについては「扱いきれなかった」という見方もできる)。先生は差別や戦争の悲惨さを伝える気持ちはあっただろうし、ガビとサヤの対話によってこの手の「方向性」は示していたけど、あの戦いを「止める」気持ちは全くなかった。地ならしに到達したいがために、戦争回避の道とそれを訴える人たちを物語から容赦なく排除していったのは諫山先生本人だった(島内vs島外や、兵団組織vs調査兵団vsイェーガー派・義勇兵などの対立は、「お互いに相手の考えを受け入れられない」「解決できない」という結論ありきで展開されていた。人間同士を残酷に殺し合わせ続けた)。

「人種差別」や「戦争」は、最終的にはエレンが化け物だったってことを視覚的にも状況的にもわかりやすく印象づけ得るために仕掛けられた物語上の「設定」であり、罠であったのかなと(罠が高性能すぎて一つ一つ取り除くのにとんでもなく時間と労力をかけさせられ、またそれに命がけで挑む仲間たちの葛藤や成長があまりにも残酷で魅力的だったが故に、主人公の化け物性から意識をそらされ続けてた)。

 

リヴァイ。

「俺には分かる こいつは本物の化け物だ 巨人の力とは無関係にな どんなに力で押さえようとも どんな檻に閉じ込めようとも こいつの意識を服従させることは 誰にもできない」(19話「噛みつく」)

 

余談だけど、リヴァイは「強い」って言われ続けてきたけど、戦闘力よりも精神力が人類最強だった。そして終盤は「強い」よりも「優しい」だった。まぁこれについてはまた別の機会に(書かないかもしれない)。

 

確かに諫山先生は初期の頃からエレンのぶっ飛んだ言動をちょくちょく描いていたけど。周りの仲間がどんどん「成長」していくのに、エレンだけ「生まれたときから」変わってないというのは、マーレ潜入時にミカサだけがかろうじて察していたのか…いないのか(123話「島の悪魔」)。全ては「自由」のためにって…。最終回でのあのヘタレっぷりは最高ではあったけど、あれだけ母の愛に包まれ、仲間への想いがあっても、エレンはとにかく何より「自由」を求め続けた。頭では理解できても、共感はできないな~。

 

エレンの周りの奴らがものっすごい「人間」らしくて、人間の強さと弱さ、優しさ、愛情、責任、使命、夢、希望、絶望、憎悪や憎しみ、その先にある赦しなど、いろんなものが渦巻く中で、一人一人がもがきながら吐き出す言葉や行動に、感動したり涙したりし続けてきた。

ただエレンは一貫して「自由に取り憑かれた化け物」だったのかと思うと、1巻から読み直してみても「おまいう……。」

 

作者は悪魔だけど天才で、1周回ってやっぱり傑作だろ!というスタンスに戻ってきた(読み終わり「エレン!!(泣)感動!!!!」 →→→ 中期「んんんん…??」→→→ 現在「やっぱりすげぇぇ!!!!」)。笑えるほどに「諫山先生は諫山先生だった」というか…。

先生は、戦争や虐殺、地ならしという慈悲なき大虐殺を描くことで訴えたいことがあったんだろうけど、それは「肯定している」からではなくて、単純に読者に地獄を見せたかったからだと思ってる。「仕方無いでしょ? 世界は残酷なんだから」

この作品が傑作なのは、エレンを除く104期調査兵団調査兵団の先輩方の生き様が(「弱い」部分や「間違った」も含めて)「正統派」だったからだな。いや、エレンの名言もたくさんあったし、エレンは素直で真っ直ぐな子だったんだけど、最終回を読んだあとだと「おまいう……。」

あとは最終回までのストーリー設定と構成がやっぱりすごかった。

 

諫山先生「読者を楽しませたい」「読者を裏切りたい」「読者を傷つけたい」

 

今回はここまで。

 

進撃の巨人 最終回まで読んで寝かせて思ったことを自由に書く

書きたくなったから書いてみる。

進撃の巨人』についての感想・感情がグルグルまわって、何となく落ち着いたからまとめてみる。完全に個人の発言

 

進撃の(特に)最終回って、感想が絶対に分かれると思って。

他人の解釈に初めて興味を持った。他人の意見を知るからには自分も明記しておこうかと。そんな義理は別にないけれど。

 

【進撃歴】

本誌→単行本→アニメ1期1話

34巻を終み終わるまでは1人で解釈して読み進めていた。

最終回後に感想・考察サイトを覗いたら、めちゃくそ面白かった!!

 

みんなあったまいいな~。

ストーリー展開や考察のレベルがすごい。すごいな、まじで。

全部は読み切れてないけど、スピンオフを読んでるのかってくらい面白かった。

連載開始時は学生だったけど、考察力も着眼点も全然甘かったな。

まぁ、別に反省とかはしてないけど。

 

【持ちもの】 紙版

単行本1巻~34巻 ※限定版やら特装版やら

進撃の巨人 キャラクター名鑑 

進撃の巨人 キャラクター名鑑FINAL

悔いなき選択 1・2巻

LOST GIRLS 1・2巻

Full color edition 1~4巻

 

【持ち物】アニメ関連

進撃の巨人 ANIME ILLUSTRATIONS』

進撃の巨人 TVアニメシナリオ集(上)』

進撃の巨人 TVアニメシナリオ集(下)』

劇場版Blue-lay「進撃の巨人」後編~自由の翼

劇場版Blue-lay「進撃の巨人」前編~紅蓮の弓矢~

劇場版Blue-lay「進撃の巨人」Season2~覚醒の咆哮~

Linked Horizon「進撃の軌跡」CD

Linked Horizon「楽園への進撃」CD

Linked Horizon「真実への進撃」CD

cinema staff「Name of Love」CD

澤野弘之 TVアニメ「進撃の巨人」オリジナルサウンドトラックCD

澤野弘之 TVアニメ「進撃の巨人」Season 2 オリジナルサウンドトラックCD

 

こんな感じの材料と手書きノート(読み返してて萎えることもある)を元に、気楽に自由に書いていく。基本的には単行本重視。アニメ版にも触れつつ。

 

今回はここまで。